2007年涼風 但馬

[更新:2007-9-20]

今年の遅い夏休みは、天候に恵まれないまま去っていきました。

旅人を見かけない旅でした。

 9月5日

 

 

 今回は十数年前に購入したカセットデッキ

(TEAC R-919X)を修理し車載して出発です。

 カーステレオではカセットテープを

聴くことができないためです。

家庭用のカセットデッキ用にAC100Vの

変換器も用意しました。

 高くついたな〜。

         

 

高速道路を乗り継ぎ、天橋立までやってきました。

ここまで6時間ほどかかっています。

結構遠いところまで来ました。

 

天橋立では、今の時期カタクチ鰯が釣れるとのこと。

私が見ている前で釣っていました。

釣の才が無い私はうらやましく思いました。

 

←:キャンプ場  しおぎり荘:↑

初日は世屋高原家族旅行村でキャンプです。

9月の平日では利用客はいません。

 

このキャンプ場を管理している「しおぎり荘」に行って受付をして、サイトに向かいます。

 

私だけのために照明を点けてくれました。

 

 

 9月6日

 

 

 

朝食をすませて片付け出発準備です。

ゴミは「かたぎり荘」にもって行きます。 

 歩いていける所に家族旅行村リクリエーションセンターがあり、その途中の道からは若狭湾が見渡せます。

 遠くに若狭湾が見える。

 

 

ここが家族旅行村リクリエーションセンターです。

9月の平日で天気も良くないので、

人の気配もありません。

 

気を取り直して、

さあ、但馬に向けて出発だ。

 

 気温は25℃

 

 

 

道中で目に留まったここは

日本モンゴル民族博物館」です。

ちょうど朝青龍の騒動があったので、

思い切って見学しました。

 

今のモンゴルは都市部などかなり近代的になっていますが、昔のモンゴルは宗教と遊牧の民であった。

「過去も未来もない生活」をしていた遊牧民は、現代がようやく気が付いたLOHASをすでに実行していたんだと感じました。

 

 日本モンゴル民族博物館」を堪能して、次は「和田山町立郷土歴史館」に向かいます。

 

峠から見下ろす集落は、

金田一耕助のいる世界を思い浮かべます。

 

 

 

さて、「和田山町立郷土歴史館なんとも

こじんまりしたところでした。

入場者の記帳も昨日、一昨日は無く、

今日も私だけでした。

 

運営が大変でしょうが、この先何十年かすると、

保管資料に高い価値が生まれると思います。

それまで保存しておいて欲しい。

 今日は福定(ふくさだ)親水公園でキャンプです。

氷ノ山(ひょうのさん)のふもとで、登山口にあります。

睡魔が襲ってきました。

まだ明るいですが早く寝ます。

・・・夜は雨でした。

 

 

キャンプ場はもう少し奥にあります。

 

 9月7日

 

 

早朝、雨が止んだので、福定親水公園を見渡しました。

 手入れが行き届いて、利用者が私一人では

申し訳ないような場所です。

 

登山口よりキャンプ場入り口を見る

さすがに昨晩の雨でテントが濡れてしまいましたが、

それも仕方ありません。

さっさと片付けてしまいます。

 

今日は、ここから氷ノ山を登ってみます。 

 キャンプ場から100mも離れていない滝です。

手前にはキャンプ場の水場だったらしい

形跡が見られました。

 

 

布滝です。

夏の木々では、

隙間からしか見られない。 

 

 

左へ進みます。 

 

 

 

のぞきの滝は左側、恐る恐る見下ろします。 

  

 

 

 のぞきの滝が見られます。

かなり大きな滝ですが、木々ではっきり見られません。

冬場に来るとよいかもしれませんね。

 曲がり坂が終り、比較的平坦な道になります。

 

 

登山道というほど厳しく無いですが、

やっぱり坂道ですね。

「ぜ〜ぜ〜は〜は〜」

と息が荒くなります。

 かろうじて木々の隙間から福定山水公園が見えます。 

 

 そうこうするうちに地蔵堂にやってきました。

 

 

 地蔵堂を過ぎて、林の中を通ります。

 

 木地屋跡のすぐそばには水が流れています。  

 

 

天気が良い日はとうろう岩が見られる。

今日は霧で何も見えない。

 氷ノ山越避難小屋に着きました。

先に学生らしい2人の青年が休憩をしていました。

天候が悪くても登山客がいるとは。

きっと人気のある山のようです。

 

 先に進んでいきます。

 

 小犬をつれたおじいさんにすれ違いました。

頂上は近い。

 

 

この先が頂上です。

霧で何も見えない。 

 頂上に着きました。

起伏が易しいためか、時間が掛かった割りに疲れがでていません。

この避難小屋で昼食にします。

避難小屋の利用簿には感想などを書くスペースがあり、少し読んでみました。

氷ノ山はこういった避難小屋が他にもあり、夕方登って避難小屋で夜を明かし、翌朝下山する方が多い。

一度やってみたい。

 

 

さあ下山です。 

 頂上は霧で何も見えなかったが、少し下りれば視界が広がってきます。

 

 

はるか下にスキー場が見えてきました。 

 ここにも避難小屋があります。

さらにもう少し下にもウッドデッキ付きの避難小屋がありました。

 

 

いよいよ登山口まで下りてきました。 

 登山口から福定親水公園まで3kmほどを歩きます。

駐車場に愛車が待っています。

 

 

無事下山できました。少し離れたハチ北スキー場へキャンプに行きます。

とりあえずキャンプ場を下見を済ませたので、ハチ北温泉を利用します。

大きな温泉ではありませんが、簡単な食事やお土産も用意されていました。 

 

 

さすがにだれもいないキャンプ場ばかりですと、気持が沈んでしまいます。

めずらしく友人に電話をしてみました。寂しいときの友の声はうれしいものです。

9月8日

 

 さて、もう帰らなくてはなりません。

今日は小天橋へ向かいます。

 

 

早朝のハチ北スキー場です。

ゲレンデはかなり広いよう。 

ゲレンデから少し下りると、畑に人

・・・ではなく人形がいました。

 

 

スキーシーズンなら朝から大忙しであろう民宿街も、今はひっそりと。

北スキー場を後にします。

 何かないかと探していましたら、「植村直己冒険館」を見つけました。有名だから寄って見ました。

が、予想外に衝撃を受けました。

彼は趣味で冒険をしているのではない。

もっと深く冒険に向き合っていた。

 

 

植村直己の故郷を見ながら、小天橋へ向かう。 

 葛野浜(かずらのはま)に到着です。

ここでキャンプも考えましたが、風が強いのと砂浜は砂だらけになってしまうので、あきらめました。

 

 

里山は海から遠く離れていますから、知り合いにサーフィンをたしなむ者は一人もいませんし、私もやってみようと思ったことがありませんでした。

実際に見ると波に乗っている姿は格好いいね。

 まだ日が高いので、網野郷土資料館に立ち寄りました。

校舎を利用した地元の資料館といった佇まいですが、蚕からちりめんを作るまでの道具を説明とともに展示されています。他の場所でも見ましたが、ここはかなり内容が濃いように思いました。

また、古文書類も量が多く、中でも明治・大正・昭和の教科書は興味を引きました。

 

 

近くの温泉「花ゆうみ」に寄って汗を流します。

 今日は小天橋キャンプ場でテントを張ります。

先客は家族連れが2家族いましたが、顔を合わすことはありませんでした。

 

 

こちらでも浜はサーファーで一杯です。 

 海は波が高く、岸に近づけばずぶぬれになりそう。

 

 

防波堤では夜になっても何人もの釣り客が釣を楽しんでいました。

深夜に無言の釣り人を見ると、何か違和感を覚えます。

9月9日

 

 最後の日です。今日中に里山に戻ります。

朝食を済ませて、帰る準備。

 

 

朝からサーファーたちが浜を独占。

さあ帰ろう。

 帰路の天の橋立で、「丹後郷土資料館」に立ち寄りました。

館内の展示をそこそこに、夏季企画展「われら”現”住民-パプアニューギニアの人と自然-」のVTRを視聴しました。

説明も無く、現地の様子をビデオに撮っただけなのですが、現地の現在の営みが少しわかった気がします。

 

 

隣接する旧永島家住宅です。

飛騨地方とは違って、すっきりした住宅となっており、このまま住んでも良いような。

 

こちらは丹後国分寺跡。

 

  

 

 

最後に若狭三方縄文博物館へ寄っていきました。

建物には土をかぶせていて、展示は地下(案内には1Fと表示)にありました。

環境考古学と縄文時代をキーワードにしたような展示でした。

 

 

今回ほど寂しい旅は初めてでした。

体調は夏バテ気味で気持も鬱傾向にあり、旅を通して気持をリフレッシュしようという企みは失敗でした。

但馬には全国に知れた有名な場所があるわけでもなく、但馬(たじま)という言葉自体、始めてしりましたから、こういったところにキャンプをしに来る人も少ないのでしょうか。

 

振り返ると、

「日本モンゴル民族博物館」では、遊牧民の「過去も未来も無い生活」、

「植村直己冒険館」で衝撃を受けた「冒険に人生を捧げる生き方」、

「網野郷土資料館」での「蚕中心の生活」など、

どれも全く違うようで、根っこの部分は同じような。

 

自分らしく精一杯生きている。

生き方は違うけれど、みんな一生懸命だし、生きる楽しさ・喜びを知っている。

 

その中でも特筆は「植村直己」だった。

彼は一人旅をする者に共通の感覚を持っている。

若くして命を落としたのは彼を知った今、惜しいと思う。

きっと彼は、旅人の求めるものを知っていたに違いない。

我々の進む先も感じていたに違いない。

 

おしまい


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