2008年老春 加賀 [更新:2008-6-10] 昨年と違い大忙しのゴールデンウィークが終り、仕事を無理に一段落させてリフレッシュに行った。 石川県は資料館・博物館が非常に多く、1ヶ月かけても回りきれない。 なんにしてもゆったりとした4泊4日の旅だった。 |
5月22日 |
|
|
仕事が終わって買出しをした後、 今夜のキャンプ地に向かったが、 予定していたキャンプ場は閉門されていた。 しかたなくみたけの森の駐車場で 一夜を明かした。 |
オオキンケイギク |
5月23日 |
|
|
夜が明けて朝食の準備。 これから石川県まで行くためにも、 しっかり食べておく。
|
駐車場から見る朝の庭園は、 健やかな一日を予想させる。 |
|
|
さて、荷物をまとめたら 東海北陸自動車道に乗って、 どんどん北上する。 |
が、自動車道は途中未開通のため、 荘川ICで下りて北上する。 御母衣ダムを越えると御母衣電力館がある。 時間もあることだし、少し見学する。 |
|
|
御母衣電力館からダムを見れば、 手前に水盤がキラキラ美しい。
十数年前に能登島へ自転車で行った帰り、 御母衣ダム湖畔を走ったことを 懐かしく思い出した。 |
さらに進むと、旧遠山家民俗館がある。 写真では分からないが、相当な豪邸である。 2層・3層・4層まであるから、 子供は冬の遊び場に困らなかっただろう。 わざわざ見学に来る価値があるところだ。 |
|
|
|
|
ようやく石川県に入った。 まずは喜多家を見学する。 |
静かな敷地だ。 門から少し奥まったところに受付がある。 見学を申し出ると、家主が現れて 十村制度の役割、各部屋の使われ方などを 説明して頂いた。 |
|
|
さて、本日は石川県健康の森で キャンプを予約している。 近くには能登空港があったので、 久しぶりに航空機を見ようと思ったが、すぐには 発着陸が無いため、キャンプ場に向かった。 |
このあたりは民家の無い森になっている。 |
|
|
石川県健康の森に到着。 管理所(総合交流センター)で受付した後、 指示されたサイトへ向かう。 さすがに平日なので、閑散としている。
|
|
|
テントを張り荷物を少し降ろしてから、 輪島の街中まで買出しついでに、温泉に行く。 ホテルメルカート輪島というところを 管理所で紹介して頂いていたので、そこを利用。
キャンプ場に戻ったが、キャンパーは自分のみ。 近く(100mくらい)のところに バンガローがあり、1組が利用していた。 夜間は常夜灯がいくつも点いており、 贅沢なキャンプ場である。 |
|
コナスビ
|
5月24日 |
|
|
翌朝荷物をまとめた後、管理所にゴミを出しに 行くと金沢テレビの取材があった。 取り木の方法の取材だと思う。 翁が脚立に登り大声を出して説明していた。 木に隠れているが、総勢50名ほどで説明に 聞き入っていた。
|
石川県健康の森を後にして南下する。
|
|
|
ここは能登中居鋳物館だ。 立ち寄ってみる。 ひっそりとした博物館である。 メインの展示は明泉寺台灯篭であるが、 能登半島地震により倒壊し、 現在修理中の説明があった。 |
|
|
|
さらに南下すると、能登原子力センターがある。 立ち寄ったが、 ファミリー向けで物足りなかった。 ・ ・ キャンプ場に向かう途中で雨となった。 |
今日は、石川県森林公園 三国山キャンプ場を予約しておいた。 管理所で受付をする。 管理人と話をすれば、本日の利用は私だけだ。 もう一組予約があったが、 雨のためキャンセルとのこと。 雨のキャンプもなかなか良いものであるのに。 残念。 |
|
|
|
|
近くに温泉があると管理人より紹介された。 買出しついでに立ち寄る。 やたの湯だ。 居酒屋も併設されていて、 奥まったところにはカラオケハウスもある。 なかな繁盛していた。 |
キャンプ場に戻る。 このキャンプ場は隣のサイトまで20mは あろうかというほど独立している。
静かな林の中、緩やかに闇につつまれていく。 |
|
コオニタビラコ
|
5月25日 |
|
|
雨の中テントを片付け、南西に向かう。 海沿いに 海と渚の博物館をのぞいて見る。 1階は書画紙ふうせん展を実施していた。 地階が博物館となっている。
|
|
|
海と渚の博物館の反対側には、 七福神センターがある。 |
|
|
さらに南下すれば内灘大橋が見え、 その向こうに風と砂の館歴史民族資料館がある。 夢−粟ヶ崎遊園 悲話−内灘闘争 ひっそりとした資料館だが、 近代の歴史を知った。 |
次は石川県銭家五兵衛記念館と 隣接の銭五の館に立ち寄る。 「銭家」という名前で高利貸しを連想するが、 元々は金銭両替商で、質屋も営んでいた。 39歳で質流れの古船から海運業をはじめ、 全国に30以上の支店を持つ豪商となった。 |
|
|
|
|
これだけでは商いの神様か、と思われるが、 加賀藩の財政立て直しをやり遂げ 河北潟の干拓も計画・実行した。 干拓工事未完のまま牢死となったが、 五兵衛の思いは今日の河北潟干拓完成へ つながった。 時代劇で加賀藩という言葉を良く耳にするのは、 五兵衛によるところが大きいと感じた。 |
今日最後は、白山市松任博物館に立ち寄る。 ※松任:まっとう 刀剣作業風景をメインにしていた。 民俗資料も農具の展示などがあった。 |
|
|
|
|
この旅最後のキャンプ地は、 小舞子キャンプ場である。 この時期にはめずらしく、 サイドカーに乗ったおじさんと 大型バイクの青年と 一緒になった。 2人とも山口県ナンバーで、しかも ハーレーという偶然には驚いた。 |
3人で話をしたが、 サイドカーに乗ったおじさんは3年ほど前に リタイヤして、毎年北海道へ 単独ツーリングしているそうだ。 大型バイクの青年は、ツーリングを したいがために22歳の若さで辞職して、 これから北海道へ行くそうだ。 夢一杯のおじさんと青年。 うらやましい限り。 |
|
カタバミ |
5月26日 |
|
|
今日でこの旅も終り。 ライダー達は先に出立。 こちらも荷物をまとめて、 里山に帰ろう。 |
白山スーパー林道の案内があり、 ハンドルを向けてしまった。
|
|
|
眼下に谷底が見える山道だ。 ただ白山スーパー林道は、まだ閉鎖中であった。
|
白山スーパー林道の料金所前に、 中宮展示館がある。 白山自然保護センターということだ。 この中では、「白山と生きる」コーナーが 昔の山麓の暮らしぶりがわかり なんとも懐かしく感じた。 |
|
|
|
中宮展示館の前に川が流れており、 対岸は休憩園地となっている。 一旦戻る。 |
|
|
手取川を勝山に抜けるコースを選択。 しばらく山道が続く。 |
道が開けてきたと思ったら、 城が出現した。 |
|
|
とにかく見ておこうと思い、 入場した。 |
|
|
勝山城という、 現代技術・工法で作った城である。 田園地帯にそびえているので、 江戸時代の城から見る風景を連想する。
|
|
|
田園の向こうに越前大仏の建物を 見ることが出来る。 これが見納め。 帰路に着く。 |
・ 今回の旅の計画段階で強く疑問に思ったことがある。 石川県の博物館・資料館の多さだ。 手持ち資料では100程の施設があり、どこを見るか迷うほどであった。 ただ行く先々の施設は閑散としていた。 いつまでも続けていて欲しいが、10年後、20年後はどうだろうか。 ・ ・ この時期に旅する人は少ない。 しかし一昨年、昨年、今年と、必ず旅人と会い、酒を酌み交している。 一人旅は気ままなものだが、時に寂しくなる。 そうゆう時に話相手が現れると、それだけで幸せに思うこともある。 ・ ・ いつかは、もっとゆっくり時間をかけて各地を回ることを夢見ている。 ・ |
|
ヤブタビラコ
|
|
おしまい |